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東京地方裁判所 平成4年(行ウ)193号 判決

原告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

岡村親宜

望月浩一郎

被告

三田労働基準監督署長

古屋英明

労働保険審査会

右代表者会長

山田正美

右両名訴訟代理人弁護士

伴義聖

右両名指定代理人

齊木敏文

外二名

被告三田労働基準監督署長指定代理人

上島光義

外二名

被告労働保険審査会指定代理人

小池廣治

外三名

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  被告三田労働基準監督署長(以下「被告監督署長」という。)が原告に対し、昭和六〇年一〇月四日付けでした労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)による遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分(以下「本件処分」という。)を取り消す。

二  被告労働保険審査会(以下「被告審査会」という。)が原告に対し、平成四年七月一〇日付けでした再審査請求を棄却する旨の裁決(以下「本件裁決」という。)を取り消す。

第二  事案の概要

本件は、甲野太郎(以下「太郎」という。)が、業務上の事由により脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血(以下「本件発症」という。)で死亡したとして、同人の妻である原告が、労災保険法に基づき、被告監督署長に遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求したが、本件処分がなされ、審査手続を経て被告審査会に本件処分の再審査請求をしたが本件裁決がなされたことから、本件処分及び本件裁決の各取り消しを求めるものである。

一  争いのない事実等

1  当事者

太郎(昭和一一年一二月二一日生)は、昭和三〇年三月、株式会社三和銀行(以下「銀行」という。)に入行し、横浜支店をはじめ支店等の勤務を経て、昭和五七年五月一五日に、大井町支店から旅行代理店を営むニュー・オリエント・エキスプレス株式会社(東京都港区新橋二丁目一二番一五号所在。以下「会社」という。)へ在籍出向し、総務部総務係長として給与計算、人事、秘書、税務、福利厚生、引当金伝票、事務管理などの業務に従事していた。

2  銀行及び会社における就業条件

銀行における勤務時間は、平日が午前八時五〇分から午後五時(休憩時間五〇分)までの所定内労働時間七時間二〇分、土曜日が午前八時五〇分から午後二時(休憩時間四五分)までの所定内労働時間四時間二五分である。休日は、日曜日、祝祭日、他の銀行との間で協定した休日のほか、毎月二回の指定休日があり、業務により休日出勤した場合には振替休日が与えられていた。

他方、会社における勤務時間は、平日が午前九時から午後五時三〇分(休憩時間は正午から午後一時まで)までの所定内労働時間七時間三〇分、土曜日が午前九時から正午までの所定内労働時間三時間である。休日は、日曜日、国民の祝日、年末年始(一二月三〇日から翌年一月三日まで)、創立記念日(二月二五日)、会社が指定する月二回の土曜日、その他の臨時休業日であり、業務により休日出勤した場合には振替休日が与えられていた(なお、土曜日は、午後一時から時間外勤務手当が支給されることとされていた。)。

3  太郎の通勤事情(甲第一五号証、乙第一号証の八、九、一二、第一八号証)

太郎は、銀行蒲田支店在勤中の昭和四七年秋ごろ、神奈川県横須賀市ハイランド三丁目三〇番一三号に自宅を購入し、銀行市ケ谷寮から転居し、勤務先まで通勤していた。太郎は、毎朝午前六時三〇分ころ起床し、午前六時四〇分ころには自宅を出てJR(当時は国鉄)横須賀線久里浜駅まではバス又は自家用車で、同駅から会社のあるJR新橋駅まではJRを利用して、二時間以上かけて通勤し、会社近くの喫茶店などで朝食をとることが多かった。なお、太郎は、京浜急行(特急)を利用すれば時間の短縮が可能であったが、着席して通勤するためJRを利用していた。

4  太郎の病歴等(甲第一ないし第九号証、第一二号証の一、二、第一三号証の三ないし六、一〇、乙第一号証の二六、二七の一ないし九、二八の一、二)

太郎は、身長が約一五七センチメートル、体重が標準体重(52.5ないし五三キログラム)に比して昭和五二年一二月の五九キログラム以降徐々に増え始め、昭和五七年七月には63.5キログラムであった。

太郎は、毎年一回以上、銀行の実施する健康診断を受けており、昭和四五年、多発性硬化症の疑いとの診断を受けたのをはじめ、昭和四八年八月には軽度の高血圧がみられ、昭和五〇年一二月は血圧が一四五(収縮期)/九八(拡張期)と高血圧の傾向がみられた。昭和五一年一二月は血圧が正常であったものの、昭和五二年一二月一六日には、血圧が臥位一五六/一一〇、座位一五四/一〇六で高血圧、肥満、塩分制限が指摘された。

その後の太郎の血圧の推移は次のとおりであり、太郎は健康診断の都度、高血圧、肥満のため塩分制限及び体重の減量を指示され、昭和五四年一二月から昭和五六年一二月まで三回の健康診断では左室肥大を指摘され、昭和五五年一二月には高血圧の内服治療を指示された。

(昭和五三年一二月一五日) 臥位一四八/九四、座位一六八/一〇四

(昭和五四年七月一七日) 臥位一七〇/一三〇、座位一七〇/一二〇、安静時一七〇/一一四

(同年一二月一三日) 臥位一四〇/九八、座位一四〇/一〇〇

(昭和五五年一二月八日) 臥位一四二/一〇八、座位一四〇/一一〇

(昭和五六年六月一七日) 臥位一四〇/九〇、座位一四四/一〇八

(同年一二月一一日) 臥位一四〇/一〇〇、座位一三八/九八

(昭和五七年七月八日) 臥位一五二/一〇四、座位一六〇/一〇八

太郎は、昭和五六年五月から同年一二月までの間、都合六回にわたり高血圧症の投薬治療を受け、昭和五七年一〇月ころには、全身の発疹で国立横須賀病院において受診し、ジベルばら色粃糠疹と診断された。

太郎は、同年一二月、銀行東京健康管理センターから健康診断受診の通知を受けたが、受診はしていない。

5  太郎の死亡(乙第一号証の八、三〇、三一、第四号証の一〇)

太郎は、昭和五七年一二月三〇日午前七時ころ、自宅便所において排便中に倒れ、頭痛、嘔吐を訴えので、同日、横道内科医院の横道武雄医師(以下「横道医師」という。)の往診を受けたところ、落ち着いたためか頭痛、嘔吐はなく、意識も正常で心臓・肺その他胸部に異常所見がなく、四肢の運動障害や知覚障害もなく、ただ血圧が一七〇/一〇〇と高かったので、鎮静剤、降圧剤の投与を行い、太郎はその後自宅で療養していた。昭和五八年一月三日、横道医師が再度往診したところ、他覚的症状は前回と同様であり、血圧が一六〇/一〇〇、腱反射は正常だったので、鎮静剤、降圧剤の投与を行ったが、太郎は依然として頭痛、嘔吐を訴えていた。同月五日、原告が横道医師に相談し、太郎の過去の病歴を話したところ、横道医師から精密検査のため総合病院への転医を勧められ、近くの総合病院へ転医しようとしていた矢先の同月六日午前四時ころ、太郎は意識がなくなり、救急車で横須賀市立市民病院に搬送されたが、昏睡状態で間代性の痙攣があり、血圧は二一〇/一五四、左瞳孔散大で、その後も昏睡状態が持続し、コンピュータ断層撮影でくも膜下出血が認められ、気管切開術を受け、止血剤、頭蓋内圧降下剤が投与されたが、同月九日午前一一時一九分、本件発症により死亡した。

6  本件処分等の経緯

原告は、太郎の死亡は労災保険法、労働基準法にいう業務上の事由によるものであるとして、被告監督署長に対し、労災保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を請求したが、被告監督署長は、昭和六〇年一〇月四日、本件処分をした。原告は、これを不服として、東京労働者災害補償保険審査官(以下「審査官」という。)に審査請求をしたが、審査官は、昭和六三年二月二〇日、右請求を棄却する決定をした。そこで、原告は、被告審査会に対し再審査請求をしたが、被告審査会は、平成四年七月一〇日、本件裁決をした。

二  争点

1  太郎が本件発症で死亡したのは業務上の事由によるものか。〈各主張省略〉

2  被告審査会が原告の鑑定申立てを採用しなかったことが本件裁決の取消事由になるか。〈各主張省略〉

第三  争点に対する判断

一  太郎の死亡は業務上の事由によるものか(争点1)

1  「業務上」の意義について

労災保険法一二条の八第二項、労働基準法七九条及び八〇条にいう業務上の死亡とは、当該業務と死亡との間に相当因果関係の存在することをいうところ、本件のような脳血管疾患等の場合には、複数の原因が競合して発症したと認められることが多いことに照らせば、相当因果関係が認められるか否かは、当該業務が死亡の原因となった当該傷病等に対して、他の原因と比較して相対的に有力な原因となっていると認められることを要すると解すべきである。なお、労働者が予め有していた基礎疾患などが原因となって傷病等を発症させて死亡した場合であっても、当該業務の遂行が労働者にとって精神的、肉体的に過重負荷となり、それが自然経過を超えて基礎疾患を著しく増悪させて傷病等を発症させ死亡させたと認められる場合には、右の過重負荷が死の結果に対し相対的に有力な原因になっているとして相当因果関係が認められると解するのが相当である。そして、右の過重負荷の判断は、業務内容、業務環境、業務量などの就労状況や基礎疾患の病態、程度、予後、傷病等の発症のプロセスといった医学的知見などの諸事情を総合考慮してなされるべきである。

2  脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血の医学的知見

脳動脈瘤及びくも膜下出血の医学的知見について、甲第一六、第一七号証、乙第一号証の三四、第四号証の一二、第一〇ないし第一三号証、第一七号証、第一九号証及び弁論の全趣旨によれば、次のとおり認められる。

(一) くも膜下出血とは、くも膜と軟膜の間のくも膜下腔が出血した状態をいい、頭部外傷によるものを除けば、脳動脈瘤破裂によるものが約六〇ないし八〇パーセントを占め、その他の原因としては脳動静脈奇形破裂が約一〇パーセント、高血圧性脳内出血が約一〇パーセントである。くも膜下出血の好発年齢は、四〇歳代ないし六〇歳代が約六〇パーセントを占め、そのうち、脳動脈瘤破裂によるものは五〇歳代が最も多い。

(二) 脳動脈瘤とは、脳血管分岐部壁の中膜欠損部あるいは内弾性板欠損部にストレスがかかり壁の一部が瘤状に膨れたものである。脳動脈瘤はその形態と成因により、①嚢状、②紡鐘状、③感染性、④外傷性などに分類され、破裂動脈瘤の九〇パーセント以上を占める嚢状動脈瘤の成因については先天説、後天説などの見解の対立がみられ、未だ確立した見解は存在しない状況にある。

脳動脈瘤破裂の原因について、最も基本的な要因として考えられるのは、加齢現象による脳動脈自体の脆弱化と血圧ないし血管内圧の関与である。脳動脈瘤ないしその壁は、一般的に普通の血管と異なり構造的に弱い上、肉体的運動、精神的緊張はもとより、日常生活におけるあらゆる活動から来る血圧変動により動脈瘤の脆弱化がもたらされている。このように、脳動脈瘤破裂の原因は、脳動脈瘤自体の脆弱性ないし脆弱化と血圧との相関関係にあり、脳動脈瘤の壁が強ければかなりの圧がかかっても破裂せず、逆に壁が弱ければ多少の圧でも破裂することになる。

(三) 一般に、くも膜下出血の危険因子としては、高血圧、喫煙、糖尿病、肥満、運動不足、過度の飲酒、過度のストレスなどが挙げられている。

脳動脈瘤が破裂する原因は様々なものが考えられ、未だ明らかにされていないが、破裂を起こさせる外的因子、ストレスが働くものと考えられ、約三分の一が睡眠中、約三分の一が挙上、うつむき、興奮、排尿排便などの血圧の上昇を伴う時に、残りの約三分の一が特別な外的ストレスとは無関係に発症しているとの報告がある。

3  太郎の基礎疾患及び危険因子の存否について

(一) 前記争いのない事実等及び乙第一号証の八、九、一一、一二、第二号証の四、第九号証、第一八号証によれば、太郎は昭和四八年ころから高血圧の傾向がみられ、WHO(世界保健機構)の高血圧基準によれば、昭和五〇年以降は境界域、昭和五四年七月には高血圧を示し、同年一二月以降は境界域を示したものの、昭和五七年七月には再度高血圧を示すなど、高血圧症又はその傾向がみられ、少なくとも同年一二月三〇日の脳動脈瘤破裂が発症する前までその状態が継続していたものと推測されること、昭和五六年ころから常時ではないものの降圧剤服用などの内服治療を受けていたが、会社に出向後は服用を中断していたため、血圧が元のレベルより高くなるといういわゆるリバウンド効果が生じていたこと、昭和五二年一二月の健康診断以降、高血圧及び肥満による塩分制限、減量を指摘されていたが、塩分制限、減量を試みた形跡は窺われないこと、自宅では禁煙していたが、会社では平均して一日二〇本程度の喫煙をしており、また、自宅で毎日晩酌をしていたほか、会社の同僚らと飲酒を共にしていたこともあったこと、以上の事実が認められる。

(二) ところで、原告は、会社の業務が多忙であったため、降圧剤服用などの内服治療の中断を余儀なくされ、また、健康診断などの診療を受ける機会がなかった旨主張する。しかしながら、前記争いのない事実等及び乙第一号証の一二、一七、二七の九によれば、太郎は会社を半日欠勤して病院で診察を受けたことがあり、休日である土曜日に病院で診察を受けることも十分可能であったこと、太郎は銀行から昭和五七年一二月一七日の健康診断受診の通知を受けていることに照らせば、太郎が診察や健康診断を受けていないことは自らの健康管理を怠ったものといわざるを得ず、原告の右主張は理由がない。

(三) また、原告は、銀行及び会社の安全配慮(健康管理)義務違反は「業務上」の判断において考慮されるべきである旨主張するが、同主張の当否はさておき、前記争いのない事実等及び乙第一号証の二七の九によれば、銀行は太郎に対し、昭和五七年一二月一七日の健康診断受診の通知をしているし、過去の健康診断で高血圧、肥満及びその改善を指摘されているのであるから、太郎自身、自己の責任で健康管理をするべきであるのに、改善の試みをしていたと窺うことができないことに照らすと、原告の主張するような安全配慮義務の存在及び同義務違反を認めることはできず、他に銀行及び会社に安全配慮義務違反があったと認めるに足りる証拠はない。

4  業務の状況について

前記争いのない事実等並びに甲第一一号証の六、八ないし一〇、乙第一号証の七、九ないし一一、一四の一、一五の二、一七ないし一九、二三の一、二、二四、第四号証の二、第六号証、第一八号証及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

(一) 職務内容

太郎の銀行における職務内容は、入行当初は集金や当座・普通預金事務、資金事務方などであったが、蒲田支店に勤務していた昭和四六年九月から総務全般を担当するようになり、その後貸金庫や受付テラー、個人先外交、当座・普通預金事務も担当したが、会社に出向した昭和五七年五月一五日までの間、合わせて約七年間総務を担当していた。

他方、会社における職務内容は別紙二のとおりであり、給与計算、人事、秘書、税務、福利厚生、事務管理などである。

(二) 就労状況

(1) 本件発症前三か月間(昭和五七年一〇月一日から同年一二月二九日まで)

右期間における太郎の就労状況は、別紙三のとおりであり、一〇月の総労働時間は二一一時間一五分、所定外労働時間は六九時間四五分、一一月の総労働時間は二一一時間一〇分、所定外労働時間は六二時間四〇分、一二月の総労働時間は一六六時間一〇分、所定外労働時間は五七時間四〇分である(ただし、一二月については、後述するように、海外研修旅行や証拠上終業時刻を確定できないものがあるので、それらについては労働時間に含まれていない。)。

(2) 本件発症前一か月間(一二月一日から同月二九日まで)

太郎の右期間における業務内容は、別紙四のとおりである(ただし、三日、四日及び六日は海外研修旅行中であり、太郎は右研修旅行に前後して同表記載の業務を処理したものと推認される。)。

太郎は、会社が費用負担する海外研修旅行へ出発するため、二日夜は成田空港近くのホテルに宿泊し、三日から六日までの日程で香港へ行き、同日午後九時ころに帰宅した。右の研修旅行は、新入社員を対象に海外旅行を経験させるために実施されており、実際の内容は、一般の観光旅行とほとんど変わらないものであった(なお、二日の終業時刻及び研修旅行の具体的スケジュールは証拠上確定することができない。)。太郎は、翌七日から通常どおり出勤し、同日は午後一〇時三〇分まで就労し、翌八日ないし一〇日も二時間ないし三時間の残業をしているが、一一日、一二日の休日は出勤せず、休養している。

因みに、太郎が研修旅行中だった五日は休日であり、本来振替休日が与えられるはずであるが、太郎の死亡前に振替休日は付与されていない。

(3) 本件発症前一〇日前(一二月二〇日から同月二九日まで)

太郎は、一九日の休日を消化し、二一日から二四日までは二時間ないし四時間三〇分の残業をし、二五日は半日出勤であったにもかかわらず午後八時まで就労し、翌二六日の休日は消化した。

翌二七日及び二八日の就労時間は、タイムカードや時間外勤務時間記録簿に記載がなく明らかでないが、前二週間(土曜日を除く平日の同月一三日から同月二四日まで)の一日の平均総労働時間が一〇時間四九分であること、同月は会社の決算時期であり、年末の多忙な時期でもあることに照らせば、二七日及び二八日も右の一〇時間四九分を下回らなかったものと推認することができる。

(4) 本件発症前日(一二月二九日)

同日は午前九時の始業後、期末伝票である減価償却の伝票作成を行い、午後一時からは会社の大掃除及び納会の準備を行い、午後四時から納会が始まり、午後五時三〇分には社長の期末の挨拶をもって終業した。その後、太郎は、同僚らと歓談しながら酒を飲み、午後八時ころから午後九時ころまで翌年一月の仕事の準備をし、午後九時過ぎには退社した。

5  業務起因性について

右に検討してきたところを総合考慮すれば、太郎は、業種の異なる慣れない職場での業務や残業、特に昭和五七年一二月には、会社の決算時期を迎え、一〇月、一一月に比して一日当たりの残業時間が長いうえ、海外研修旅行後休む間もなく就労し、二五日は半日出勤にもかかわらず午後八時まで就労していたこと、さらには、片道二時間以上という遠距離通勤の事情などから、ある程度の疲労がたまり、ストレスが生じていたであろうことは推認するに難くない。しかしながら、太郎の会社における業務は、銀行と比較して勤務時間に大差がなく、担当職務も業種が銀行と旅行代理店という違いがあるものの、ともに総務と総称される内容で異質であるとまではいえないこと、銀行から会社へ出向してすでに七か月が経過していること、海外研修旅行後である一二月一一日、一二日、一九日及び二六日の休日はいずれも消化しており、蓄積された疲労が解消されないで慢性疲労状態にあり、過度のストレスが生じていたとみることも困難であることに加え、遅くとも昭和五〇年以降高血圧症という基礎疾患に罹患し、降圧剤の服用中断に伴うリバウンド効果もみられたこと、高血圧及び肥満による塩分制限、減量を指摘されながらこれを試みた形跡は窺えず、会社では喫煙、飲酒をしていたなど自らの健康管理を怠っていた面があったことなどに照らせば、太郎に生じた脳動脈瘤は、高血圧症という基礎疾患に加えてリバウンド効果、肥満、喫煙、飲酒、さらには疲労やストレスが共働原因となって徐々に増悪して脆弱化していたところ、年末休暇中である一二月三〇日の午前七時ころという冷気下に排便をしたために、急激な血圧が脆弱化していた脳動脈瘤に加わって破裂してくも膜下出血を来たし、結局死に至ったとみるのが相当であり、太郎の会社における業務遂行が過重負荷となり、それが自然経過を超えて基礎疾患を著しく増悪させたとは到底認められない。したがって、太郎の業務と死亡との間に相当因果関係があると認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

よって、本件処分は適法であり、原告の主張は理由がない。

二  本件裁決の違法事由の有無(争点2)

被告審査会は、再審査手続において審理を行うため必要な限度において、当事者の申立て又は職権で、鑑定人に鑑定させることができ(労審法四六条一項三号)、被告審査会は、当事者から鑑定の申立てがあったときは、その申立てを尊重しなければならない(労審法施行令三〇条一項、一三条五項)。しかしながら、当事者の鑑定申立てを採用するか否かは、被告審査会の合理的な裁量に委ねられているのであり、被告審査会が当事者の鑑定申立てを採用しなかったからといって、右裁量の範囲を著しく逸脱したものと認められない限り、違法とはいえない。

これを本件についてみるに、被告審査会は原告の鑑定申立てを採用することなく本件裁決を行ったものであるが、被告審査会が原告の鑑定申立てを採用しなかったことにつき、その裁量の範囲を著しく逸脱したものと認めるに足りる証拠はないから、これを違法ということはできず、本件裁決に固有の瑕疵は認められない。

よって、本件裁決は適法であり、原告の主張は理由がない。

三  以上によれば、原告の請求はいずれも理由がないから棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官萩尾保繁 裁判官片田信宏 裁判官島岡大雄)

別紙1・2〈省略〉

別紙4〈省略〉

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